僕は今、鹿児島県のいちき串木野市にいる。
25年前と今を比べて
86歳の父と、83歳の母が二人で住んでおり、様子を見にきた。
父は幸いまだ元気だが、母は認知症が進み、足も弱っている。
一人息子で、母は僕のことはまだはっきりわかるし、うれしそうだ。
来てよかったと思う。
ただ、特に何をするわけでもないので、暇な時間も多い。
そんな時は、ひたすら町を歩き回る。
知らない町の風景を見るのはとても楽しい。
特に、いちき串木野市は、仕事の関係で父が25年前に移り住んだところだ。
僕は住んだことはないが、何度か訪れたことはある。
当時と今とを比較しながら見ることで様々な発見がある。
中核駅が無人駅に
まず、驚いたのは町の寂れ方だ。
街の中核ターミナルの串木野駅は、当時は結構にぎわっていたが、今は無人駅になっていた。
駅前のホテルは老人養護ホームになり、レストランは整体院になっていた。
串木野駅から歩いて5分程度の夜の繁華街は、見る影もない。
売り店舗が目立ち、約300㍍のメインストリートに、パブ・スナックが5、6件点在しているのみだ。
老人が3分の1
現在のいちき串木野市の人口は2万6000人強。
直近20年間で8000人減少した。
14歳以下の子供は1割、65歳以上が全体の3分の1を占める。
この街には目立った産業はない。
1次産業も2次産業も3次産業もない。もちろん4次も5次もない。
この街の主産業は「老人」である。
老人の年金収入が、街の経済を支えている。
栄えているのは病院と介護施設
街の中の大きな目立つ建物は、だいたいが病院か介護施設だ。
街道沿いで目立つのはパチンコ屋だ。
国が支払う年金が、老人を介して街に行き渡り、地域の経済をなんとか支えているのが実態だ。
実際は、支えきれなくて街は衰退しつづけ、いつかは臨界点を迎える。
全国の田舎で、いちき串木野市と同じ光景が広がっているのだろう。
全国の市町村の維持は不可能
もう今のままでは無理なのだ。
今ある日本全国の市町村に、共通の整ったインフラや行政サービスを提供するのは不可能である。
例えば、「この街は5年後に閉鎖します」と宣言し、移住してもらうべきだ。
でも、全国から選出された政治家が、自分の選挙区の街を閉鎖するわけがない。
日本は、ゆるやかに滅びていくのだろう。