12年前のある日。
会社の近くのなじみの焼鳥屋で飲んだ後、電車で帰る途中でもう一杯飲みたくなった。自宅から二駅前で途中下車し、飲み屋街をうろついた。
私はピアノ
ふと目にとまったのは、ビルの3階にある「私はピアノ」という看板である。サザンの大好きな歌だった。
「たまには冒険してみるか」。
と足を踏み入れた。
女の子は中国人
意外に店内は広かった。ボックス席が7、8席あり、ドレス姿の女の子が7、8人いた。
まだ早い時間ですいていたので、僕の周りに3人の女の子が座った。
少し話してみると、女の子は全員中国人のようだった。
リンちゃんとの出会い
僕の正面に座ったのがリンちゃんだ。
身長は160センチぐらい、とても整った顔立ちをしていた。
肌の色は白く、鼻はすっとしていて、唇は薄め、目の大きさが絶妙にちょうどいい。ありていに言うと、めちゃめちゃタイプだったのである。
リンちゃんは来日してまだ3か月、20歳だった。日本語学校に通っていたが片言しか話せない。
少し恥ずかしそうにして、ほかのおねえさんの陰に隠れている風が可愛かった。僕はすっかり参ってしまったのだ。
週に一回のルーティーン
それから週に一回は店に通った。同伴も多かった。もちろん指名はリンちゃんである。
リンちゃんも少しづつ僕に馴れ、日本語も少しづつ上達し、お互いに楽しく話せるようになった。
りんちゃんは、1年ほどすると千葉の女子大に通うようになった。専攻は文学部心理学科である。
といっても、目的は学生ビザを取得してアルバイトをすることだった。だからまったく勉強はしない。
レポートを書く日々
「学校のレポート書かなきゃいけないんだけど、全然わかんない」。
ある日リンちゃんが言った。
僕は大学の専攻は経済学部だが、昔から心理学が大好きで、フロイトやユングから始まり様々な本を読んできた。僕の仕事は新聞記者なので、書くのは本業だ。
「書いてあげようか」。
軽い気持ちで言うと、
「えっ、ほんと!うれしい」
とリンちゃんが目を輝かせた。
報酬は笑顔
僕はだらしなく目尻を下げた。それから僕はせっせとリンちゃんのリポートを書いた。
中国人が間違いそうなところはわざと間違って書いた。
もちろん報酬はない。リンちゃんの笑顔が報酬である。(バカにしていただいて結構です。僕も今書いててバカか、と思いました)。
卒論70枚
リンちゃんが卒業する年になって、僕はリンちゃんに言われた。
「あべちゃん、卒論よろしくね」。
卒論は今までのレポートとは違う重さがある。聞くと原稿用紙で70枚ぐらいだという。
さすがの僕も無報酬では引き受けかねる。僕はリンちゃんに下心丸出しで言った。
「卒論書いたら、何してくれるの」。
男として卑怯よ
リンちゃんはもうすっかりうまくなった日本語でこう言った。
「あべちゃん、何か代わりに何かしてくれっていうのは男として卑怯よ」。
僕は卑怯をなによりきらっている。リンちゃんはもうそこまで僕のことをわかっていた。
僕は何も言い返すことができなかった。せっせと卒論を書き、リンちゃんに渡した。
ある日、草野球チームの後輩をその店につれていった。
後輩の計算
もちろん僕にはリンちゃんが付き、後輩には別の女の子がついて、楽しく歌って飲んだ。
店を出てから後輩が、
「あべさん、あの店にどれくらい通ってるの」と聞いた。
「うーん、週一ぐらいかなあ」。
「いつから通ってるの」。
「うーん、5年前ぐらいかなあ」。
「それでいて、リンちゃんとはやってないんでしょ」。
「そうだね」。
「あべさん、どれだけムダ金使っているの!」
そういうと後輩は計算し始めた。
リンちゃんはそんな子じゃない
「毎週1回で少なくとも250回、いつも同伴するっていうから、最低3万は使ってるでしょ。ええっと、合計で700万超えてるじゃん!」
そんな計算はしたことがなかったので、僕もちょっとびっくりした。
「あべさん、そんだけ使うんだったら、1回20万って言えば絶対やらしてくれるよ」。
「いやいや、リンちゃんはそういう子じゃないんだってば」。
バカである。そういう子だったかもしれない。そういう子じゃなかったかもしれない。今になってみれば、もうわからない。
最後のプレゼント
リンちゃんは大学を卒業すると中国に帰った。
最後に、僕の誕生日に最低でも20万はするであろうブランドものの立派なコートをプレゼントしてくれた。
そのコートは今でも大切に着ている。