秋も深まったある日。午後7時すぎのことだった。
帰宅を急ぐ人波
東京・日本橋の地下鉄の駅通路には、足早に家路を急ぐ人の波ができていた。僕もその流れに身を任せながら、
(早く家に帰って一杯やりたいなあ)
などとどうでもいいことを考えていた。
人の流れを遮るもの
すると、正面に人波が何かを避けるように左右に分かれている一角があった。
(何だろう?)
近づいてみると、どこかの酔っぱらいが残したであろうゲロ(いきなり汚くてすみません。この先はお好み焼きと表現させていただきます)だった。
迷惑な酔っ払い
そのお好み焼きはまさに作り立てのようであった。我慢できなかったのだろうが、実に迷惑な話である。テロ行為といっても過言ではないだろう。
(ホントしょうがないなあ)。
と顔をしかめた時である。
ロングヘアの綺麗なお姉さん
黒のミニスカートに黒のハイヒールでばっちり決めた、20代半ばのきれいなお姉さんが、ロングヘアをなびかせながら颯爽と歩いてきた。右手に持ったスマートフォンを熱心に見ている。人波の異変に全く気付かないようだった。
(危ない!)
と思った瞬間である。
大人なパンツが丸見えに
お姉さんは出来立てのお好み焼きに足を踏み込み、氷の上に初めてスケート靴で立った子供のように勢いよく滑って転んだ。10点満点の9・90ぐらいの見事な転び方であった。
紫の大人なパンツが丸見えになった。
お好み焼きに包まれて
いつもの僕ならばニヤッとする場面である。
しかし、この時は全くそんな気持ちにならなかった。
ファッショナブルな服もつやのあるロングヘアもお好み焼きにまみれており、その惨状のほうが全然インパクトがあったからである。
あたりに響く叫び声
お姉さんは一瞬何が自分の身に起きたのかわからないようだった。
少し間が空いてから、自分の手を見て、髪や服にべっとりと着いたお好み焼きを見て、ようやく事態に気づいた。
「いやあああああっ!!!!!」
すべてが手遅れ
50年生きてきたが、こんなに嫌な気持ちがこもったいやあああああっ、を初めて聞いた。それはそうであろう。女性として、いや、人として考えられる限りで最悪の状況であった。
駆け寄って助けようかとチラッと思ったが、もう素人がどうこうできる段階ではなかった。
僕はお姉さんのことを心配しながら、家路についた。
歩きスマホはかくも危険である。