手垢のついた決まり文句は使わない

2021/12/25

 新聞や雑誌の記事を読むと、手垢のついた決まり文句を使っているケースが結構目に付きます。書いた本人はうまく強調したつもりだと思いますが、逆効果です。

 うれしい悲鳴?鼻息が荒い?

 例えば、売れ行きが非常に好調な時などに「○○○とAさんはうれしい悲鳴を上げる」、強気の発言をしたときに「〇〇〇とAさんは鼻息が荒い」、逆に悲観的な発言には「○○○とAさんは肩を落とす」、といった表現です。

 惰性で慣用句を使うのは稚拙な印象

   私は30年以上記者として数多くの人を取材してきましたが、うれしくて悲鳴を上げた人も、鼻息を荒くした人も、肩を落とした人も見たことがありません。なんとなく落ち着きがいいから惰性で使っているのだと思いますが、稚拙で言葉を大切にしていない印象を与えます。こうした慣用句は便利なので使いがちですが、やめましょう。私がもし取材を受けて、「鼻息が荒い」と書かれたら事実と違うと抗議します。

 避けたい表現「なりちゅう」

文末に決まり文句を使っている記事も多く見ます。「今後の成り行きが注目される」は、新聞記者の間では「なりちゅう」と言われる最も代表的な事例で、さすがに最近は見かけなくなりました。成り行きが注目されるから記事にするのであって、全く不要な表現です。

 今後の対応が問われる、も避けよう

「今後の対応が問われる」「改革はまだ道半ばだ」「重い課題を突きつけられている」といった表現も避けた方がいいでしょう。どのような対応が問われるのか、どういった改革が必要なのか、課題にどう取り組むべきなのかを具体的に書く必要があります。