早稲田へ

昨日、母校の早稲田大学に足を運んだ。

 馬場から早稲田まで20分

 高田馬場で仕事があり、ふと早稲田まで一駅歩いてみようと思いたった。

 僕が卒業したのは1986年。もう30年以上前だ。

 街並みはずいぶん変わっていた。

 消えた古本屋街

 一番驚いたのは、古本屋街がほぼ消滅していたことだ。僕が学生の頃は、40~50件が軒を連ねており、授業の帰りに何時間も飽きずに本を漁ったものだ。

残っている古書店は10件あまり。空いたスペースは、ラーメン店や全国チェーンのファストフード、カフェなどに変わっていた。

 名画座とゴッドファーザー

 かろうじて残っていてくれたのは、早稲田松竹だ。ロードショーにかからない、良作の名画を上映してくれる。

 僕が学生の頃、ゴットファーザーのパート1、パート2を続けて上映していたことがあった。僕は授業をサボり、7回も繰り返し見た。

 みどりちゃんのうどん屋

 僕が19の時の初体験の相手のみどりちゃんがバイトしていたうどん店も奇跡的にまだあった。でも、みどりちゃんの顔ももうおぼろげにしか思い出せない。年月は冷酷だ。

 コロナ禍にあっても、大学のキャンパスにはなんのチェックもなしに入れた。さすが早稲田だ。学生は少ない。たまにすれ違うと、試験や就活の話をしているのが耳に入る。時代は変われど、共通する部分もあるのだろう。少しほっとする。

 鹿児島への電話 

大隈重信の銅像がある広場を見て、入学したときのことを思い出した。政経学部の合格者の受験番号が張り出されており、自分の番号を見つけた時の感動は忘れられない。

 すぐに近くの公衆電話に駆け込み、鹿児島の実家に電話した。

「受かったよ」。

 早咲きの桜が、澄んだ青空に映えていた。晴れ晴れとした希望に全身が満ちあふれていた。