連夜の大脱走

 僕は高校の3年間函館にいた。

 男子校で寮生活である。

 まあ、思春期で女子に興味津々の健全な男子にとっては最悪の環境といっていい。

 夜10時30分の点呼 

 高校の寮であるから、夜間の外出は禁止である。

 もし外出したり、宿泊したりする際は、それなりの理由を付けて許可をもらわなければならなかった。

 では、実態は、というと、みんな結構夜遊びで外出していたのだ。

 夜10時半くらいに、寮の先生が各部屋のドアを開けて点呼をしに来る。

 それさえ乗り切れば、まあ大丈夫、なのである。

 年間の外出200日

 ほとんどが4人部屋で、僕の部屋は、僕、和泉くん、久保庭くん、伊庭くん、の4人であった。

 伊庭くんはほぼ毎日10時半に寮にいたが、残る3人はほとんどの日は夜遊びに出かけていた。

 3人とも一緒のこともあったし、別行動のこともあった。

 僕はだいたい、寮の近くのいきつけの赤提灯で飲んでいた。

 3、4人前はあるホルモン鍋が500円と格安で、焼き鳥も安かった。

 僕はいつも奥の座敷に陣取っており、いろんなメンバーが入れ代わり立ち代わり来たモノである。

 日本酒を5合ぐらい飲んでばか話をした。

 他にやはり行きつけのスナックに行ったり、時々ディスコに行ったりしていた。

 1年を365日、として、夏休みなどに帰省している日を除き寮にいるのはだいたい300日。

 そのうち、たぶん200日は僕は点呼の時間にいなかった、と思う。

 まあよくばれなかったものである。

 陸上部のあべ番ローテ

 いろいろ作戦は考えた。

 単純なモノとしては、ふとんを膨らませて、寮の先生が点呼に回ってくると、一人残っている伊庭ちゃんが、

「3人とも寝てます」。

というものだ。

 比較的生徒の個性を尊重し、あまりうるさく言う高校ではなかったので、

「ああ、そうか」。

 ぐらいで先生も帰っていく。

 まあ、半分わかっていたとは思うが、部屋に入ってきてベッドの布団をはがすまではしなかった。

 しかし、これも1週間も続くとさすがにまずい。

 点呼に来た海原先生が、

「この部屋はいつも寝てるな。伊庭以外の顔は見たことないぞ」。

 と言い出したのだ。

  新たな作戦として浮上したのが、あべ番ローテーション作戦である。

 部の後輩を総動員

 寮の先生は、1年生、2年生、3年生の順に一人で点呼に回る。

 1、2年生の点呼と、3年生の点呼にはタイムラグがある。

 これを利用するのだ。

 僕は当時陸上部のキャプテンだったので、1、2年生の後輩に総動員をかけた。

 後輩は自分の点呼が終わると、僕の部屋に駆けつけるのである。

 順番はローテーションで決まっていた。

 ある者は机に座り、ある者はベッドの布団に潜り込んで準備を完了する。

 部屋の明かりは薄暗くし、デスクのライトだけを付けておく。

 「おーい、みんないるか」。

 海原先生が部屋に来ると、机組は

「はい、います」。

 と元気に声を上げるのだ。ベッド組は、

「はーい、います」。

 といかにも眠そうに手を挙げるのだ。

 この作戦でなんとか1年間乗り切ったのだ。

 トイレの窓開け係

 夜遊びが終わって、深夜寮に帰る時も問題であった。

 一応、すべてのドアには鍵がかけられている。

 窓も閉められている。

 一番多用されたのが、1階のトイレの窓から侵入する、という方法である。

 寮の先生や管理人もここは警戒しており、時々見回っては鍵を閉める。

 そこで、トイレに近い1階の部屋に住む人の窓をたたいて、トイレの窓を開けてもらっていた。

 今は誰が窓を開ける役割をしていてくれたのか思い出せないが、そいつは本当にいつも迷惑そうであった。

 それはそうであろう。

 自分は真面目に寮にいるのに、不届き者のために夜中に何度も起こされて、トイレの窓を開けに行かなければならないのである。

 いつも捕まる久保庭くん

 ちなみに久保庭くんは2回も窓から侵入しようとしているところを発見され、逮捕されている。

 幸い停学にはならなかったが、寮の食堂で2週間皿洗いをさせられた。

 「久保庭と出歩く時は気をつけろ」。

 が皆の合い言葉になった。

 和泉くんは、ものすごい逃げ方をした。

 久保庭くんがまさに窓から入ろうとしている瞬間を見つかり、次に入ろうとしていた和泉くんもほぼ見つかった状態であった。

 その時、和泉くんは全力で走って逃げたのである。

「こらあ、待ちなさい」。

 寮の先生の声にもまったくひるまなかった。

 翌日、和泉くんは呼び出された。

 当たり前である。

 和泉くんは顔はせんだみつお似で、体型は小太りと非常に特徴があり、ましてや久保庭くんと同じ部屋である。

 どう考えても逃げたのは和泉くんであろう。

 しかし、和泉くんは、

「僕ではありません。まったく身に覚えがありません」。

としらを切り通したのである。

「先生、その時見たのは後ろ姿だけですよね。顔は見ていませんよね。僕だという証拠はありますか。先生、疑わしくは罰せず、という言葉を知ってるはずですよね」。

 と強引に強弁して逃げ倒したのだ。

 命懸けの非常ばしご

 他に、寮への帰り方としては、4階建ての寮の壁にある金属製の非常はしごを屋上まで上り、屋上のドアから中に入る、というものがあった。

 防災上の理由からか、屋上のドアは常に鍵がかかっていなかった。

 夏はまだいい。冬は大変であった。

 ほとんど明かりもない中を、はしごを4階の屋上まで上る。

 冬の函館である。

 鉄製のはしごは凍り付き、手も足も滑りやすい。

 しかも、こっちはかなり酔っ払っている状態だ。

 滑って落ちたら死にかねない

 命懸けである。

 よく死人が出なかったものだ。

 まあ、この話の結論は、

「若いってエネルギーにあふれてていいよね。バカだよね」。

 というだけのことなのだった。