今、鹿児島県いちき串木野市に来ている。
東京から鹿児島に帰省
86歳の父と、83歳の母が二人で暮らしている。
最近、母の認知症が進んできている。
一人息子の僕のことはまだわかるが、僕の3人の子どもたちのことは、写真を見せてもわからない。
自分の父母や兄弟のことももうわからないという。
もうすぐ、僕のことも誰だかわからなくなるだろう。
その日が来る前に、少しでも会っておきたい、と思い、仕事の合間を見て帰省した。
こまごまと世話する父
幸い、父親はまだ頭も体も比較的しっかりしていて、よく母の面倒を見てくれている。
だが、悲しいことに、母は父のことが嫌い、である。
僕には、妹がいて、よく帰省してくれているが、母は妹、つまり、自分の娘も嫌いだ。
僕には、母の気持ちが少しわかる。
父も妹も、相手の行動に対し、細かく口出しするタイプである。
「ママさん、ごはんの時間やけん、そこ座り」。
「味噌汁はあついけ、少し冷ましてから食べんかね」。
「それはハシでは食べにくかろう。スプーンをやるけん、ちょっと待っちょけ」。
すべては母のしたいように
一生懸命世話しているのはわかるが、父は今の言葉でいうと「うざい」のだ。
妹も、母にこまごまと口だししがちな点は父と似ている。
僕は、たまにしか会わない気楽さがあるので、基本は母のしたいようにしてもらっている。
寝たい時に寝て、食べたい時に食べたいものを食べ、好きなテレビを見て、一日中だらだらと過ごす。
母はそれが好きだ。
もういろいろなことはできないから、もう何もしたくないのだ。
健康のためのウオーキングも、デイサービスでの交流も大嫌い、である。
いいじゃないか、と思う。
もう残り少ない時間を自由気ままにできるだけ楽しく生きて欲しい、と思うのだ。
母は夜更けに僕の部屋へ
母親にとって、一人息子というのは、なんか生物学的に特別、というのもあるかもしれないが、母は僕のことは好きだ。
ネタバレになるので詳しい内容は伏せるが、母の気持ちを知るには「ソフィーの選択」という素晴らしい映画をよければ一度見て欲しい。
父が眠った夜更けになると、母は僕の部屋にそっと入ってくる。
僕は、笑顔で手招きをして、ひとことふたこと言葉を交わし、母を抱っこする。
自分が子供の頃に母にだっこされたのだから、お返しである。
ほんの2、3分で母は安心して、部屋を出て行く。
もうその程度のことしかしてあげられないが、他に思いつかないのである。